今年もブラジルに行ってきた。
2012年ブラジルの旅で感じたことは、ブラジルにも「腰抜け」はどんどん増えてきてること。
2005年以来これで7回目になる。
初めてブラジルに行ったときの印象は強烈やった。
僕の先生が住むリオ・デ・ジャネイロの片田舎の町イタグアイでは、主な通り以外は舗装されてなく、土と石ころの混じったボコボコのひどい道で、そんな町でみんなが力強く生活してた。
そんなひどい道でも子どもたちは裸足で駆け回り、ボールとは言えへんような球体に近い物体をボール代わりにしてサッカーをしてた。
ブラジルの子どもたちを見て、ちょっとでもコンディションの悪いグランドであればまともに戦えへんような日本サッカーは絶対にブラジルに勝てへんと思った。
目に飛び込んでくるものが何もかも日本と違うブラジルの田舎町で、けっこう携帯が普及してるのだけは意外やった。
それが今では、かなり道路の舗装が進み、町はきれいになり、生活のレベルも日本とそんなに変わらへん程度にまでなってきた。
携帯もタッチパネル式のものをみんな当り前に持ってたりする。
ちなみに僕はまだタッチパネル式を持ってへん。
日本は戦後の経済成長の中で急激に発展してきて、その進化する便利さの中で一気に腰抜けが進んできたと思ってた。
せやけど、ブラジルのここ数年の変化は、日本のそれと比べもんにならへんくらいの急激なスピードで起こっている。
今の日本では戦前、戦時中や戦後間もない時代の大変さを知る人、戦後の発展の中で便利さの中に生れてきた人が各世代でそれぞれの経験を持ちながら暮らしてる。
若い人になればなるほど便利さの中で身体を使わなくなり、それぞれの世代の平均的な腰抜け度合いが今に近づけば近づくほどひどくなってきてると思う。
それに対してブラジルではここ数年の間に日本やったら30年分くらいの変化が起きたんやないやろか?
20代後半から30代前半の人ぐらいまでを境に全く違った環境で育ってそうな感じがする。
僕は専門家やないから詳しくは分からへん。
せやけど、ブラジル人を見ててそれを感じる。
若者たちは便利になった携帯を持ち、その画面にくぎ付けで視野を狭くしながら生活し、大人たちは大きく広がったブラジルの大地と空を感じながら生活している。
今はまだまだブラジルの子どもの方が日本の子どもに比べると身体を使ってるし、運動能力も高い。
せやけど、近い将来それが日本と同程度まで崩れる危機を感じる。
すでにブラジル人の若者の中に腰抜けは着実に広がってきている。
このことはブラジルに限らず世界中の国々に広がってきてることも容易に想像がつく。
技術の進歩、どんどん便利になっていく世の中の流れを止めることは不可能や。
そんな今、それによって崩れてくる人間の姿に気づき、どう対処していくかが大事なことや。
こんな世の中で、僕は時代の流れに抗いながら、自分の思いを精一杯発信していこうと思った。

うちのグループのブラジル本部の先生はいつでも腰が入っている。それに対して若者は・・・